著者の中室牧子氏は、慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)卒業後、日本銀行で景気や国際金融市場の分析を担当し、米コロンビア大学の修士課程(経済学)を経て、世界銀行本部でのインターンシップを経験後、再びコロンビア大学に戻って教育経済学で博士号を取得、現在は SFC の大学総合政策学部で准教授を務めています。
ここで、あまり聞き慣れない「教育経済学」というのは、
教育を経済学の理論や手法を用いて分析することを目的としている応用経済学の一分野
とされており、特に米国で研究が盛んに行われているのだそうです。その背景には、2000年代初頭に制定された「落ちこぼれ防止法(No Child Left Behind Act)」および「教育科学改革法(Education Science Reform Act)」により、教育予算に対して説明責任や科学的根拠が必要となったことがあるとされています。これらは、「エビデンスベーストポリシー(科学的根拠に基づく教育政策)」と呼ばれています。
参考:http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-japanese-educationoverview.html
多くの教育上の問題や財政問題を抱える米国にとっては、非常に理に適った政策ですし、edX や Coursera、Udacity などの 新しい教育プラットフォーム(MOOCs)が提供するビッグデータを分析することにより、今後もいろいろな発展を遂げていくであろう刺激的な分野であると感じました。
一方、日本ではまだ教育政策に科学的根拠が必要という風潮にはなっておらず、その原因として、倫理的な問題で実証実験がそもそもあまり行えていないこと、実験データが研究のために公開されていないことなども挙げられていました。
そして、もう一つの重要な概念である「教育生産関数」について説明すると、
- 家庭の資源
- 親の所得や学歴
- 家族構成
- 塾や習い事への支出
- 家庭学習の習慣
- 学校の資源
- 教員の数や質
- 宿題や課外活動
- 授業時間
- カリキュラム
などの教育上の「インプット」が、学力などの「アウトプット」にどのくらい影響したかを表したもので、それらのインプットを資源として捉え、費用対効果の観点から「教育の収益率」を試算したものが、ミクロな視点での教育経済学ということになるわけです。
本書では、アウトプットとして、IQや学力テストで計測される「認知能力」以外に、「非認知能力」いわゆる「生きる力」についても言及しています。
学術的な呼称 | 一般的な呼称 |
---|---|
自己認識 | 自分に対する自信がある、やり抜く力がある |
意欲 | やる気がある、意欲的である |
忍耐力 | 忍耐強い、粘り強い、根気がある、気概がある |
自制心 | 意志力が強い、精神力が強い、自制心がある |
メタ認知ストラテジー | 理解度を把握する、自分の状況を把握する |
社会的適性 | リーダーシップがある、社会性がある |
回復力と対処能力 | すぐに立ち直る、うまく対応する |
創造性 | 創造性に富む、工夫する |
性格的な特性 | 神経質、外交的、好奇心が強い、協調性がある、誠実 |
(本書 図18「非認知能力とは何か」より)
「生きる力」=知・徳・体のバランスのとれた力
変化の激しいこれからの社会を生きるために、確かな学力、豊かな心、健やかな体の知・徳・体をバランスよく育てることが大切です。
参考:
現行学習指導要領の基本的な考え方:文部科学省
子どもたちの「生きる力」 - 文部科学省
本書によると、2000年にノーベル経済学賞を受賞したヘックマン教授らは、
非認知能力が、認知能力の形成にも一役買っているだけでなく、将来の年収、学歴や就業形態などの労働市場における成果にも大きく影響することが明らかになった
と、非認知能力が人生の成功において極めて重要であることを示したほか、
誠実さ、忍耐強さ、社交性、好奇心の強さ ― これらの非認知能力は、「人から学び、獲得するものである」
ことについても示しました。著者は、「学校とはただ単に勉強をする場所ではなく、先生や同級生から多くのことを学び、「非認知能力」を培う場所でもある」という可能性について言及しています。
ここで、「学校が非認知能力を培う場である」ということに関して、ふと思い出したことがあります。
「「謎」の進学校 麻布の教え」という本をたまたまゴールデンウィーク中に読んだのですが、麻布は一見すると自由奔放でめちゃくちゃな学校という捉え方をされがちなのですが、「非認知能力を身に付けるための最も先鋭的な学校」と捉えると、難関大学への合格者数という数字以上に重要かもしれない、将来必ず役に立つであろう社会人としてのバランス感覚、判断力、決断力、さらには人間形成にプラスの影響を与えているとも考えられるわけです。
もしかしたら麻布は、「トップ数%の学力の児童に(勉強する自由までも含めた)完全な自由を与えるとどうなるか?」という実証実験(!)をしているのではないか、とも考えたのですが、もしそうなら、卒業生のその後の追跡調査をしていただき、是非ともデータの公開をしていただければ非常に面白いなと夢想した次第です。
本題に戻りますが、本書「「学力」の経済学」は、教育関係者が読んでも、データサイエンティストが読んでも、子供の教育を考える親御さんが読んでも、非常に興味深い内容になっていると思います。